1969年に通称「ザ・ヴォイス」で知られるアメリカの名シンガー、フランク・シナトラが発売した曲です。今回紹介するのは英語カバーver.ですが、原曲はフランスのジャズ歌手クロード・フランソワの「コム・ダビチュード/いつものように」です。
英語ver.の作詞を手掛けたのはポール・アンカで、原曲を耳にした時「感じるものがある」と自らパリへと権利交渉に出向いたそうです。
当時ジャズこそがシンガーという時代だったアメリカで、シナトラは人気の低落と共にポップスを歌わざるを得なくなっていました。今曲の話をアンカが持ちかけた時も「こんな仕事さっさと辞めてやる」と吐き捨てたそうです。その上でアンカは「シナトラが歌う曲」ということを大切にし、曲調も少し変えてシナトラの為に書き上げ大ヒットさせました。
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And now, the end is near
And so, I face the final curtain
My friend, I’ll say it clear
I’ll state my case, of which I’m certain
I’ve lived a life that’s full
I traveled each and every highway
And more, much more than this
I did it my way
(「face the~」は「~に直面する」の意味。
「say it clear」は「はっきり言う」や
「明確に言う」の意味です。
「state」は「述べる」や「名言する」を
意味する動詞です。
「certain」は「確信」の意味で「sure」よりも
客観的に確かな証拠がある場合に使われます。
また「certain」は「sure」よりフォーマルです。
「much more than」は「はるかに越えて」の意味で
今歌詞の場合、続く「this」が何を指しているのか
考えた時に「言いたいこと」だと解釈したので
「それ以上に言いたいのは」と訳しました。)
Regrets, I’ve had a few
But then again, too few to mention
I did what I had to do
And saw it through without exemption
I planned each charted course
Each careful step along the byway
And more, much more than this
I did it my way
(「few」は「ほとんどない」の意味ですが
不定冠詞の「a 」がつくと
「少しはある」の意味になります。
「then again」は「その反面」や
「と思いきや」の意味です。
「mention」は「話に出す」や「言及する」
の意味なので、先ほどの「few」がつくと
「言うほどない」となりさらに「too」がつくと
「言うには少なすぎる」となるので
「わざわざ言うほどはない」と訳しました。
「saw it through」は直訳すると「見通した」となり
つまり「やり遂げた」の意味になります。
「exemption」は「免除」や「除外」の意味です。
「along」は道などに「沿って」進むことを意味し、
「careful step along」は「慎重に一歩進む」という意味です。
「byway」は「脇道」や「裏道」を意味します。)
Yea, there were times, I’m sure you knew
When I bit off more than I could chew
But through it all, when there was doubt
I ate it up and spit it out
I faced it all, and I stood tall
And did it my way
(「there ware times」は直訳すると「時もあった」と、
ある経験をしたり状況が起こった特定の時を指します。
日本語で言うと「そういう時期もあった」となります。
「I’m sure~」は「~だと確信している」や
「~に違いない」の意味です。
「bit off more than I could chew」は直訳すると
「租借出来ないほどの量が傷んでいる(食べ物)」と
訳が分からなくなりますが、
「bite off more than I could/can chew」で
「租借出来ないほどの量を噛む」という慣用句
があります。「chew」は「租借」の意味です。
つまり「自分の能力以上のことをやった」の意味です。
「bit」と「bite」の違いがありますが
歌詞の内容からしてこの意味だろうと思います。)
I’ve loved, I’ve laughed and cried
I’ve had my fill, my share of losing
And now, as tears subside
I find it all so amusing
To think I did all that
And may I say, not in a shy way
Oh, no, oh, no, not me
I did it my way
(「fill」は「満腹」や「満喫」を意味し
「I’ve had my fill」で「お腹いっぱい」や
「もう十分」の意味になります。
続く「my share of losing」は直訳すると
「失った私の分」となりますが
「I’ve had my fill」の「十分持っている」
という流れを汲んで「失う分は失った」つまり
「失ってきたものもある」と訳しました。
「tear subside」は「涙が落ち着く」の意味。
「as」は状態の変化を意味するので
この場合では「~と共に」と訳しました。
「shy way」は「委縮する」や「遠慮する」の意味。
「not in a~/~の状態ではない」が付くので
「遠慮はしない状態」で「遠慮はしないぞ」
と訳しました。「not me/私ではない」は
文脈によって訳し方が変わりますが、
この場合は「私らしくないか」と訳しました。)
For what is a man, what has he got?
If not himself, then he has naught
To say the things he truly feels
And not the words of one who kneels
The record shows I took the blows
And did it my way
(「a man」で「ある男」や「一人の男」、
「naught」は「無価値」の意味。
「To say the things~」で「~と言うことだ」、
「truly feels」は「心から感じている」の意味です。
「one who kneels」は「跪く人」の意味ですが
「懇願する人」のことなので
力強く自力で生き抜いた今歌詞に沿うよう
「他力本願に跪く誰か」と訳しました。)
Yes, it was my way
(「我が人生」を英語にすると「my life」
になりますが、ここではbe動詞の過去形「was」が
使われているので「自分のやり方だった」と
何かを振り返っていることから
何を振り返ったのかと全体を読んだ時
「it was」で過去にした「way」は「生涯」
だと思い「我が人生」と訳しました。
やってきたこと、人生の集大成を意味する
一文だと解釈しています。)
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アイドル的人気、マフィアや政治家との関係、人気の凋落、そして復活と…フランク・シナトラさんの生涯と照らし合わせると更に深みが増す歌詞です。
日本でも多くの方にカバーされ、日本語訳された曲も有名です。個人的にはエルビス・プレスリー歌唱ver.も好きです。
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